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大学卒業後、兵庫県の病院で働き始めました。必死で仕事を覚えて2年勤めた後、知り合いがオーナーを務める大阪の調剤薬局に移りました。この頃は常に仕事に追われていましたね。 数年ほど勤めた頃、都会での生活は「もういいかな」と今後の自分のライフスタイルにモヤモヤを感じるようになりました。このまま調剤ばかりをする日々を何十年も続けていくのかな、と。私は薬剤師としてのキャリアアップにはあまり興味が持てなかったのです。どちらかというと、患者さんとの距離を縮めて、楽しく仕事をしたいなと思っていました。 「これからは南国でゆったりとした場所で働きたい」そう思い、私は薬剤師の派遣会社に登録し、新しい勤務先を探してもらいました。そこで紹介されたのが久米島のたいよう薬局だったのです。
南国での生活に憧れはあったものの、島の生活に馴染めるのか不安な気持ちもあったため、派遣社員として3ヶ月限定で働くことにしました。 島に来た当初は知り合いがおらず寂しさを感じることもありましたが、薬局や島主催のバーベキューなどのイベントに積極的に参加しました。そこで、島の人たちとつながりができ、輪が広がっていきました。3ヶ月経つ頃には島を離れるのがイヤで、派遣期間を1ヶ月延ばしてもらいました。島の人たちの温かい人柄に触れ、そのころには久米島が大好きになっていました。このまま久米島に残って働きたいと思いましたが、その当時たいよう薬局に正社員枠がなかったこともあり、私は後ろ髪を引かれる思いで大阪に戻りました。
その後、私はたいよう薬局の正社員枠が空くのを待ちながら、3ヶ月に一度くらいのペースで久米島に遊びに来ていました。そのたびに代表の晶さんには食事に連れて行ってもらい、交流を続けていました。大阪に戻ってから1年半ほど経った頃、正社員枠が空いたという知らせを受け、「このタイミングしかない!」と思った私は真っ先に求人に応募、たいよう薬局で正社員として働き始めました。
いざ働いてみると、今までの薬局との違いを感じました。まずは患者さんとの接し方。 私は元々人と話すことが好きなので、家族のことや島のこと、日常の些細なことも話題になりますね。黙々と調剤をして患者さんに薬を渡すだけという今までの事務作業的な感じはなく、患者さんひとりひとりにきちんと向き合える環境ってステキだなと思いましたね。
移住を機に、島の人たちとの交流もますます深くなりました。患者さんのご自宅に薬を届けに行くと、「これ、持って帰りなさい」と島野菜やお魚を頂くことも。また、残業がほぼないので週に1〜2回は島の友人の家にお邪魔して食事会をしたり、バーベキューをしたりしています。30歳を過ぎて、医療従事者以外のつながりができるとは思いませんでしたね。
久米島に移住してから、ライフスタイルもだいぶ変わりました。関西にいたときはせっかちな生活を送っていましたが、今はゆったりとした時間の中で働けています。心にもゆとりが持てるようになりましたね。夏はマンゴー、冬は車海老とおいしいものもたくさんあり、さとうきび畑や真っ青な空と海、美しい風景に日々癒されています。
たいよう薬局では、久米島町の福祉課や病院、施設の医療従事者、島民との距離が近く、認知症初期集中支援など地域との交流もあり、薬剤師の職能の広さを感じることができます。チームワークをもって楽しみながらあらたなことに挑戦できる方なら、たいよう薬局は力を発揮できる職場だと思います。
薬剤師としての仕事にやりがいを持ちながら、島の人たちとの交流も大切にする。そんな薬剤師と一緒に、たいよう薬局を、久米島をぜひ盛り上げていきたいです。